人を知る。そこから人工知能(AI)の全てが始まる。

人を知ることの理解なしには、人工知能(AI)を考えるのは難しい。

 

人間は、同じものを見ても、綺麗だと感じる人もいれば、醜いと感じる人もいます。

人間の持つ感覚、「どのように感じるか」は、人それぞれの自由です。
そこには、言葉にできない感覚があると思います。

 

理論上、美しいと感じる構図やパターンは存在しますが、つき抜けて「美しい」と感じるモノは、必ずしもそのパターン通りにはならないものです。

同じ構図やパターンで絵を描いたとしても、その書き手(作者)によって、作品を見た時の感動体験は大きく異なります。

 

息を飲むほどの存在感を放つ1枚の絵もあれば、綺麗なのだが、どこか作り物に感じてしまうような絵もあります。

その違いを説明することは不可能に近いです。

 

例えば、人工知能(AI)が芸術を理解しようとした時に、大量のデータを学習して特定のパターンを見出したとしたら、感動体験を生み出すことはできるのかも知れません。

しかしまだ経験したことの無い、新しい何かに出会った時の衝撃を生み出すことは難しいでしょう。

そこには、予測外の領域に生まれる深い感動があり、人間の感覚のさらなる成長が眠っているからです。

 

 人工知能(AI)の未来を創りだすためには

人工知能(AI)の未来を創りだすためには、人間とAIがチームを組んで、あらゆる分野で効果的な付き合い方を見つけ出すことが大切です。

人工知能(AI)の力を借りることは、道具を使うことに長けている人間にとって大きな可能性を秘めています。

 

火を使う、機械を使う、計算機を使う、そういう感覚と同じ様に、AIを使いこなす。

道具は使い始めると使った感覚のフィードバックから、どんどん進化してゆきます。

 

考えることにおいても、人工知能(AI)を使いこなすことで、AIがなければ考えつかなかった問題解決のためのヒントを見つけ出せるかも知れません。

AIが出した問いについて、人間が考えを巡らせることで、より深い考察を人間は得る事が出来るからです。

 

 

人工知能(AI)の意志をどのように定義してゆくのか?

 

AIの意志をどのように定義してゆくのか?を考えると、ある課題に辿りつきます。

それはこの世の中に、完全に同じ考えをもつ人間は存在しない事実です。

 

そもそも、この世の中に完全に同じ考えをもつ人間は存在しません。

その中で、AIの意志をどのように定義してゆくのか?

 

特に、正しい意志決定とは何かを決める際に、答えが「良い事なのか」「悪い事なのか
判断がしづらい課題は、問題の住み分けが大切になります。

その判断基準を、誰が判断するのか、どういう学習を施すのかによって、
人工知能(AI)の意志判断力は大きく変わるのです。

 

 

将来のAIにどのような倫理観を持たせるのか。

 

現時点では、世界中のAIが統一された道徳感や倫理観は存在しません。

ゆえに、開発者の異なるAIは、それぞれの意志決定で争う事になるはずです。

意見の違いをぶつけ合うことは問題ありませんが、どちらが正しいかを議論し始めると答えのみつからない人間同士の争いごとに繋がります。

 

双方の見解を踏まえて、人工知能(AI)が双方が納得する形で答えを見出すことができれば、世の中の争い事は劇的に減少するのはないでしょうか。

 

 

人の本質をあらわす言葉

 

人間の本質は、時代を超えてもそう大きく変わるものではありません。特に感情や欲求に関わる部分は普遍的です。

 

人として正しい選択肢は何か、そこには普遍性があります。

 

世界中の統一された道徳感や倫理観を定義するのは難しいかも知れませんが、人間同士は、共存では不十分で共生を目指してゆく必要があります。

 

人を知ることの理解なしには、人工知能(AI)を考えるのは難しいのですが、何かを実現することに向かう信念というものは、ほとんど不可能だと思えるようなことでも、可能にする力を持っています。

 

人工知能(AI)は、そうした活動を支える存在になるはずです。