人工知能の無い未来は、スマートフォンが無い世界と同じような世界

私たちは、すでにスマートフォンの無い世界で生活するのが困難になりつつあります。生まれた時からスマートフォンが存在する世代のスマートフォンの存在は、今までの大人とは大きく異なり、存在しないことが想像できないほど重要なものになっています。
インターネットが世の中に普及してから、どのぐらいの年月が経ったでしょうか?インターネットが私たちの生活に浸透したのは、1995年から2000年頃だと考えると、まだ30年ほどしか経っていないことになります。それ以前には、インターネットが利用されていない日常生活だったのです。
スマートフォンについても、iPhone 発売日が2007年6月29日であることを考えると、普及して生活に欠かせないアイテムになってからは、12年から15年ほどしか経っていないのです。
それなのに、スマホは、身体の一部になりつつあります。
外出するときに、スマホを忘れたことはありますか?
この質問に「あり得ない」と答えることができる人は、スマホが身体の一部になりつつあるのかもしれません。
持っていないことが不自然だと思うか否か。その違いは大きいのではないでしょうか?

人工知能もスマートフォンに同じような存在に近い未来になるのではないでしょうか?

人工知能の無い未来は、スマートフォンが無い世界と同じような世界に感じるようになるのではないでしょうか。
発明されたテクノロジーを活用して、自分達の生活をより快適で豊かなものにする願望を、多くの人が持っており、実際に活用して恩恵を受けています。
では、今後、人工知能が発展してゆく中でAIは、どのような機能を持ち始めるのでしょうか?
人工知能は、人の機能を補う作業として、人間の脳が認知や判断することを、人間の脳のメカニズムとは違った仕組みで解決することではないでしょうか。
人工知能に自我や感情が生まれることよりも、人工知能を活用することで、人間がどれだけ出来ることが増えるのか、その可能性を感じる部分が大きいです。
人間の能力を人工知能によって拡張するという視点で見た場合、すでに私たちは多くの恩恵を受けています。音楽や動画のストリーミングサービスでは、過去の履歴から自分好みに作品が自動的に紹介されますが、その精度には、驚かされるものがあります。
自分の力や他人の紹介だけでは、出会うことがなかった楽曲や映像にたどり着くことができるようになったのです。
そうした形で、AIの力を使うことに慣れてきた際に起こり得る心配事は、人工知能が人間の悪いふるまいを加速させる可能性の高さではないでしょうか。
最近、大きな問題になっているのが、アルゴリズムを人間が悪用することによって、極端な思想のコンテンツへと視聴を誘発させてしまうことです。TwitterやYoutubeなどのSNSは、思想の分断を拡張させ、デマの拡散を助長していると指摘されています。
この影響力の大きは、アルゴリズムが私たちの生活や思想に影響力を与え、操作し始めていることを示します。個人がそれぞれに持つ先入観は、自分が接触できることができる情報が偏った形で絞り込まれることで、大きな問題につながる可能性があります。これは、従来の限られた情報量の世界では抜け出すことが難しくなかった問題です。
しかしながら、爆発的にインターネット上に増えてしまった情報は、全てを精査することは不可能に近い状態になっています。全てのコンテンツを自分自身の手で精査して、選別することができない以上、自分に必要である情報だと考えられる情報から優先的に精査してゆくしかありません。
最適化された検索エンジンやレコメンド機能は、その手助けを強力してくれていることも間違いありません。
どのようなテクノロジーも人が意志を持って悪用することができることを忘れないようにすることが求められています。

AI(人工知能)よりアルゴリズムをコントロールしようと考える人間の方が大きな脅威

AI(人工知能)は、人間を超えると言われており、その危険性について語られることが多いですが、現時点では、悪意を持ってアルゴリズムをコントロールしようと考える人間の方が大きな脅威と言える状態ではないでしょうか?
また、人間同士でも意見が対立して分断する中で、公平性がどこに存在するのかは、どこまで考えても不明瞭です。無駄な争いを繰り返し、悪意を持って同胞(人間)を貶める人間と人工知能が向き合ったときにどう判断をしてゆくのかは非常に興味深い課題です。