人工知能を哲学的な視点から考えてみたい。

人工知能を哲学的な視点から考えてみたい。

哲学とは、人生や世の中のあり方・原理原則を、理性によって求めようとする学問であり、人間が自らの経験からつくりあげたそれぞれの人生観とも言えます。

経験から学ぶこと、探究し続けることその行為こそが哲学であり、「人間とは何か?自分がどういう存在なのか?」という答えの無い質問の答えを考え続け、何かを自分の中で悟りを得るように積み重ねてゆく活動こそが哲学だとするなら、人工知能について考えるときに、「知能とは何か?」という問いを深めてゆく活動も哲学なのでは無いだろうか。

「人間とは何か?知能とは何か?」この問いに現時点での答えを探求することは人工知能を制作する上では、必要不可欠なことです。人工知能の探究は、テクノロジーの話だけはなく、哲学的な視点からみてゆくことも求められているのです。人工知能(AI)の開発には哲学的な思考が不可欠であるとも言えます。

そういう点では、人工知能の思考は、自らが持つ哲学への問いに対する答えを求めて、制作者の思想をコンピュータにのせて形にしたものだともいえるのではないでしょうか。

人工知能について知ることで人間のことも理解できる。

人工知能研究には、論理主義派(明示的プログラミング)と機械学習派(ニューラルネットワーク)の二つの流れがありました。
プログラミングによる人工知能は、人間が現実世界から法則を導き出し、思考するモデルを作り上げていました。モデルが出来上がれば、その後の学習は自動で深まってゆきますが、一番初めてのモデルを作り出す部分に人間の判断に依存しており限界がありました。
その課題が、ディープラーニングの登場により、経験を基に概念を学習することで、より深く認識を深めることができるようになったのです。
人工知能は学びを深めるほど、人間の特性についての理解を深めてくれます。人間の脳はどのような機能を持っているのか、人間の思考はどういう風に機能しているのか。
人工知能を探究することで、知能とは何か考えることに向き合うことができます。

哲学は、自分の心や思考について考えることです。私たちの心に生まれる感情や思考は何から生まれるものなのかについて自己対話を深めてゆきます。
人工知能は、知能とは何かについて考えを深めてゆきます。それは、「知能とは何か」という問いに今までとは違ったアプローチで向き合ってゆくことに繋がります。
「知能とは何か」という人工知能と向き合う基礎的な取り組みは、哲学との取り組みにおいても、重要な問いだと言えます。それは、多くの哲学者が考え続けて来たことでもあります。
人工知能の研究が深まるほどに、「知能とは何か」という概念がなってくるのでは無いでしょうか。その答えが鮮明になるほど、高度な人工知能が生まれてくるように思います。

人工知能の研究は哲学の探究でもある

人工知能の研究はサイエンス、エンジニアリング、哲学が交錯する分野だと言われています。
まず知能とは何かを探究する部分はサイエンスです。そして知能とは何かを問う部分は哲学であり、さらに知能を作ろうとする活動はエンジニアリングとなります。
人工知能を開発する上で、人間の脳機能が解明され始めていることもあり、人間の脳を模倣する取り組みが盛んになってきています。
その時、人工知能は、感情や意識を持つべきでしょうか。
自ら感情を持たなかったとしても、人間の感情を理解することができるとコミュニケーションの質は格段に上がります。
感情を理解できるだけで、感情に対して向き合う方法が学習されます。人が感情で生きる生き物である以上、感情をうまくコントロールする対応を人工知能が学習することは大きな発展につながるのでは無いでしょうか。

人工知能と人が対立することはあるのか?

悲しいことですが、人は対立します。
もし、人間の価値観を持った人工知能が生まれ、さらに進化して人間の価値観とは異なる価値観を持った人工知能が生まれたら、人は人工知能と対立するのでしょうか?
私は、人工知能と対立することよりも、人工知能を使う人が悪用しようと考える行為に目を向ける必要があると考えます。
人間は、人工知能によって強化された頭脳を手に入れることができると思います。
その時に、その知能を何をするために活用するかは、人間の判断い委ねられます。
その判断は、ある種、判断をする人間の正義に依存した形で実行されます。
完全に正しい判断などは存在しないはずです。