人工知能に心は宿るのか?心は人工知能で再現するのか?

人間らしい思考をすることができる人工知能には、心が宿っている必要があるはずだ。

心とは何だろう?
人工知能に心は宿るのだろうか?

人工知能の開発は、ディープラーニングの出現によって飛躍的に進んでいるが、心を人工知能で再現することはできるのだろうか。

人間が人工知能よりも優れている点

人間が人工知能よりも優れていると考えられる点は、創造力ではないだろうか?
創造力とは、ゼロから有を生み出す力であり、過去データや経験値を飛び越える思考力が必要となる能力である。規則的でも論理的でもない力が必要になるので、AIには対応することが難しいはずだ。

人の創造力が生まれるメカニズムを説明するのは難しい。人間ですらそのメカニズムは明確には理解していないからだ。

人工知能と人間の本質的な違いは、人間が持つ柔軟性や非論理性なのだと思う。

人工知能のコンピューター処理ならではの正確性が発想に制約を掛ける事になるのに対し、制約がない人間の持つ弱点が発想する力を生み出している事になる。

心(こころ:mind)は、『人間の精神作用のもとになるもの』であり、人間の体の目に見えないものであり、非論理的な部分が多く、何をもって心と定義するのかが明確ではないのが課題となる。

人工知能を心を宿すためには、哲学的なアプローチが必要になるのは、「心とは何だろう?」という難問に、論理性を持たせなければならないからだ。

人間と人工知能は、お互いに表裏一体

人間と人工知能は、お互いに表裏一体であり、陰と陽の関係だとも言える。

人間が生み出す人工知能が、シンギュラリティ(技術的特異点)を迎え、人間の干渉を受けずに自己成長を続けることが可能になった時、人間と人工知能が持つ決定的な違いを、人工知能が自ら乗り越える可能性はある。

人間が持つ柔軟性や非論理性と人工知能が持つ正確性と論理性は、表裏一体であり、能力として劣っている部分と優れている部分がある。

人間の持つ曖昧さや、いい加減さが人間に臨機応変な対応を身に着けさせたはずだが、その能力が必要に応じて磨かれた能力であったとすれば、人工知能(AI)に頼り過ぎる事によって、いずれ退化してゆく能力になるのかも知れない。

人間の能力が制約や環境によって磨かれたものであれば、退化する能力との引き換えに新たな能力が開花する可能性も考えられる。