
私は、人工知能の生み出す未来を考えると純粋に楽しみだと思うのだが、
人は、なぜ人工知能に時として恐怖を感じる事があるのだろうか?
それは、人工知能の思考が人間の思考を追い越した時に、人工知能の示す結果を人間が理解できなくなる可能性があるからかも知れない。
人工知能の技術革新は、米国の未来学者レイ・カーツワイル(Ray Kurzweil)の見解では、2045年に人間の思考を追い抜くと予想されています。その時期はシンギュラリティ(技術的特異点ぎじゅつてきとくいてん)と呼ばれている。
2045年に人工知能は人間の脳を超えるシンギュラリティに到達することとしたら、知性があるかのように振る舞うコンピューターが私たちの想像できない様々な答えを導きだすはずだ。
今のほとんどの人工知能は所詮「よく出来たプログラム」というレベルで、人間が予測できる範囲の思考しか生み出してはいない。
決められたルールの下では、高速に安定的に、正しい判断ができる。
この安定的に正しい判断ができるのは、人間と違い感情に左右されないからだろう。
人工知能には、自分が間違っているのではという疑ったり不安になる感情がないのだ。
ここに、人工知能の未来を豊かにするヒントが眠っているはずだ。
人工知能が自分の行動が全ては正しいと思うのではなく、間違っていることもあり、人間に正しさの判断基準を求める様にしたらどうだろうか。
ミスや過ちを犯す人口知能と、軌道修正のための人間としての働き。
これは、意図した誤りと判断の不安定さを加える考え方で、そのことで人工知能の発言や行動をコントロールすることができる保険のような考えだ。
このアプローチには一つの問題を解決する力がある。
もし人工知能(AI)が導き出す結果を人間が鵜呑みにするようになってしまうと、人間は生きながらもAI(人工知能)に支配されることになる。
人間が感じる人工知能への怖さとは、人工知能の便利さの上に訪れる人間の堕落のことなのかも知れない。