人工知能と人間の関係性を考える

人工知能の画像処理は、コンピュターが眼を使いこなすようになったのと同じ意味があるのではないでしょうか?人工知能は進化してゆくのは、人工知能が学習をすることができるからです。例えば、猫の画像を識別するための機械学習を行うときには、教師データを元に、大量の画像データから、猫について学習をします。その学習効率は、人間に比べると時間がかかる学習方法を使い行われますが、コンピューターの性能が向上しデータの処理が早くなり、短時間で一つの仕事をやり続けることが可能になったことで、驚くような成果が出せるようになりました。特定のカテゴリー(例えば、将棋や囲碁等)によっては、人間を凌駕するような学習効果を発揮し始めていたりもしています。これは、人工知能が人間の能力を超え始めたと考えることなのでしょうか?

人間と人工知能の根本的な違い

人間の不思議な部分は、全く同じ画像を見たとしても、人間ごとに解釈が変わってゆくことではないでしょうか?もちろん人工知能も教師データや学習のための材料が変わることはありますが、大量のデータから学び続けて精度を上げてゆく段階では、人間のような個性が出る可能性は低いのではないでしょうか。人間の解釈に違いが生まれる原因は、次の二つの要素が考えられてます。

一つ目が視点のフィルター

一つ目が視点のフィルターです。視点のフィルターとは、人間の視野の問題です。例えば、雑踏の中で、誰か知り合いを探していたとします。そこまで苦労せずに探すことができると思いますが、知り合い以外にどんな人がいたかを認識できる(覚えている)人は、ほとんどいないはずです。人間は、脳の処理能力の問題もありますが、自分に必要ではない情報を自動的に省略してゆきます。見たいものだけにフォーカスを当てて見ている状態になります。目には入って情報はインプットされているはずですが、無視されている状態です。こうしたフォーカスの当て方が人間ごとに異なるのです。フォーカスが変わることで、視界に入っているけど、認識をしていない状態になるのですが、この特徴は人間と人工知能の違いを生み出す大きな違いだと言えます。

二つ目が経験による思い込み

二つ目が経験による思い込みです。人間は、経験によって学んでゆくのですが、同時に経験は思い込みというラベルを生み出してしまいます。人間は経験から様々なことを学習をしているため、何を目にしたときに、過去経験の影響を受けないで、目の前の事象を解釈することは不可能です。経験というものは、人それぞれ、異なるものなので、同じ画像を見たとしても解釈の仕方に個人差が出てくるのです。人工知能の機械学習について考えてみると、現時点の技術では、学習プランを立て、実行しているのは人間なので、人工知能それぞれの個体差が出てくる部分はありますが、学習が進むにつれて、個体差の違いは少なくなってゆくのではないでしょうか。逆に、人間は経験のフィルターを通すことで、個体差がより鮮明に出てきてしまいますし、その経験のフィルターを書き換えることは難しくなります。ジェネレーション(年代)ごとの常識の違いを比較してみるとわかりやすいのではないでしょうか。過去の常識は、現代の非常識になっていたりすることがあります

人間の無意識と人工知能の関係

人間には、顕在化されて意識と、潜在的な意識が存在しています。先に例を挙げた、自分に必要ではない情報を自動的に省略している際にも、潜在的には情報自体は認識しているはずです。人間の解釈は、同じ事象を見たとしても、その事象を観察する視点も異なれば、感じることも違います。この感じ方の違いが、人間の個性となっています。しかしながら、「なぜ、そう感じるのか?」をロジカルに説明するのは難しいことが多いのではないでしょうか?「なんとなくそう感じる」というのが多くの人が持つ感想です。説明が難しいものをロジカルに組み上げてゆくことは困難です。ディープラーニング(深層学習)が使われるようになり、アルゴリズムがなぜそのような出力をしたのかを説明できない「ブラックボックス問題」が話題に出るようになりました。人工知能を活用する場合には、なぜAIがそのような判断をしたのか、そのロジックが説明できることは以外にも重要なポイントになります。なぜなら、人工知能という得体の知れない知性が重要な判断をするときに、全面的にその意思決定を信頼することは人間には難しいからです。近未来に、軍事コンピュターが人類に反乱を起こすストーリーはよく耳にしますし、医療現場で悪い結果が出た場合に、人工知能の診断結果を素直に受けていることができる人は少ないのではないでしょうか?そうした部分では、人間の無意識をどのように解釈してゆくかで、人工知能の未来は大きく変化してゆくのかも知れません。