人工知能を開発された国の思想と比較して考えてみる

人工知能は、開発者の考え方に大きく依存して作られている

世の中で、開発されている人工知能は、その開発に携わる開発者の考え方に大きく依存して作られています。
なぜなら、人工知能を開発する時には、その開発者が知能をどのように考えているかによって、開発思想が大きく異なるからです。
また、学習のデータの元になるデータにも大きく影響を受けます。学習データのベースになる、人工知能を使う人の考え方によっても大きく変化してゆくのです。
今回は、現在生み出されている人工知能は、開発された国によって設計思想が大きく異なることを理解しておく必要があることを掘り下げてゆきたいと思います。

人工知能を使いこなす

人工知能がプログラムだとすれば、その活用方法は人工知能に命令をして、その回答を活用する。この流れが一般的な考え方だと思います。つまり、機能として人間を代替えする働きを求める考え方になります。人間の代わりに知的作業をより高いレベルで処理することができる能力を持った道具として、人間が人工知能を使いこなしている状態が理想的な姿になります。
この考え方の先には、人工知能を活用することで、人間の知能拡張を図ることも考えられるようになります。
こうした考え方で人工知能を開発している国がアメリカを始めとする欧米の国になります。
日本では、上記のような考え方と少し異なる考え方を持って研究を進めているケースがあります。
それが、人工知能をパトナーとして受け入れる考え方です。

人工知能をパトナーとして受け入れる

日本では、人工知能を身近な存在となるようにしたいという思考を持つ人が多いと言われています。
幼少期に、アニメやテレビゲームと触れ合う機会が多くあったため、その原体験が人工知能に対する考え方に少なからず影響を与えているのです。
自ら思考することができる人工知能を持ったロボットとして描かれたキャラクターとして、鉄腕アトムやドラえもんを思い浮かべる人は多いのではないでしょうか?
近未来が描かれることが多いアニメやテレビゲームの世界には、ごく自然に人工知能が描かれ、パトナーとして受け入れられている世界観が広がっています。
そうした点からも、キャラクターの色をついた人工知能は、日本市場において大きな可能性を持っている方向性だと言えます。
世界的にみても、日本の市場は、アニメーションやゲームなど、キャラクター色が強いビジネスが発展しており、国民の広い年齢層に受け入れられています。
人工知能を活用したサービスの発展を考える場合、人工知能とキャラクター文化を紐付けしてゆくことで、受け入れやすい人工知能のサービスが発展してゆく可能性があります。
人工知能を、キャラクター化することで、対話することへの抵抗感をなくし、より感情移入したリアルなやりとりを行うことが可能になります。
つまり、キャラクター化することで、そのキャラクターに感情移入し、人工知能を実在する人間のように受け入れる柔軟性があるのです。

人工知能が全世界共通であるはずはない

私たちは、人工知能が万能であることを期待してしまいがちですが、人工知能が全世界共通で万能であるはずはありません。
なぜなら、人工知能は、その開発者が知能をどのように考えているかに大きく影響されるからです。
そもそも、世界中で争いごとは発生しており、倫理的問題には一定の解決基準は存在するものの、どちらが正義かの議論になった瞬間に全く逆の視点で物事が解釈されてゆきます。
加えて、情報は常に編集され公開されてゆくため、本当に正しい情報を判断することは難しくなってきています。
自分の考え方に同調する人工知能と、自分が到底受け入れられない判断をする人工知能がいた場合、どちらが正しいと判断するでしょうか?
倫理的な正しさよりも、自分の考え方に同調する人工知能を選んでしまう可能性は否定できません。
特に、人は周りの人の判断に大きな影響を受けるので、多くの人が支持する人工知能の考え方に同調してゆくのではないでしょうか?
これは、とても受け入れ難い現実なのですが、冷静に世の中で起こっている争いごとを見てみると、それぞれの正義に基づいて考えている限り、その問題は平行線のまま解消されることは無いでしょう。
それぞれの正義よりも、もっと根本的な問題として解決策を考える必要があるのではないでしょうか。
生命体として、どのように考えるべきか、そこに解決するための答えがあるのではないでしょうか。